グローバルマーケット観察記

第4回 マーケットの予想精度を高める

秘密は情報の集積
 
 
 マーケットは情報集積のための最高のメカニズムである――。
5月18日付(日曜版)の英紙ファイナンシャル・タイムス(FT)では、コラムニストのジョン・オーサーズが、アイビー・リーグに属する名門ペンシルバニア大学のビジネススクール、ウォートン・スクール教授でエコノミストのジャスティン・ウォルファーズの“信念”をそのように紹介している。
オーサーズによれば、ウォルファーズは“プレディクション・マーケット”の研究にこれまでの生涯を捧げてきたという。
日本ではあまり聞きなれないマーケットである。“プレディクション”を辞書で引くと“予測”とか“予想”という日本語が並んでいる。すなわちプレディクション・マーケットは“予測市場”ということになるが、直訳をしてみたところで、その姿はおぼろげにも浮かんでこない。そこでもう少し注意深くオーサーズのコラムを読み込んでみる。
「もし読者が米国大統領選挙の先行きを知りたいのなら、まずは“政治予測市場(political prediction market)”の最新価格をチェックすることだ。スポーツの結果とて同じこと。封切映画の第1週の興行成績を知りたい場合も、もちろん変わるところはない」
 実は、プレディクション・マーケットはイベントを利用したネット・ギャンブル(オンライン賭博)の側面を有している。だが、もちろんそれだけではない。ウォルファーズの研究によると「1984年から2000年にかけて全米フットボールリーグ(NFL)が主催した3,791試合について、賭け率の差を回帰分析すると得失点差の99.7%は説明がつく」のだという。ひらたい言葉でいえば、賭け率の分析法さえわかっていれば、アメフトのAチームとBチームの得失点差は、試合終了前にあらかたわかってしまうということだ。
どうやらウォルファーズら学究の徒の出発点は、ギャンブルを媒介として勝ち負け予想の情報を集め、それによって将来予測が可能か否かを研究することにあったらしい。その結果として明らかになった予測精度の高さにより、いまやプレディクション・マーケットは「投資家にとっては政治や経済イベントに対するリスクヘッジのツールとして、企業にとっては新製品や新たな企業戦略を計るモノサシとして利用できる可能性」が高まっているのだとオーサーズは指摘している。

○“群衆の知恵”は“権威”を上回るか
 しかし、プレディクション・マーケットの真価はスポーツの先行性指標としてではない。経済や政治の分野での予測こそ、その真骨頂であるというのがオーサーズの言い分だ。
 例えばゴールドマン・ザックスとドイツ銀行は経済事象を予測するプレディクション・マーケットを運営しているが、そこからはじき出した失業申請者予測を始めとする数々の経済指標のもととなる数値は、経済の専門家に対して実施して得た信頼感調査よりも、より実態に近かったとの報告がある。
 ではなぜそうしたことが起きるのだろうか。
例えば今年の米大統領選の民主党候補指名選挙だ。初の女性大統領誕生か、それとも初の黒人大統領誕生かといったエポックに加え、激しい舌戦で大いに盛り上がったことは記憶に新しい。
いまの段階(6月初旬)ではすでに決着がついているが、事ここに至る過程では、新聞やテレビなど旧来のメディアが熾烈な予想合戦を繰り広げてきた。それ自体は主役を変えながら繰り返されてきた長年にわたる定期イベントだが、その際に紙面や画面には、ほんのひと握りの「権威」と呼ばれる“予想屋”たちが登場する。彼らは懸命に自らの“事情通”ぶりをアピールして、読者や視聴者を説得にかかる。しかし彼らの予想の正確性はいかほどのものだろうか。
 一方で、ほんの少し前まで、常に読者であり視聴者であったわれわれ(=群衆)は、やはり長年にわたり“情報の消費者”の立場に据えられてきた経緯がある。“情報発信者”である「権威」者とは逆の位置づけだ。
 ところが、インターネットの登場がそうした「権威」と「群衆」の決まり切った立ち位置を打ち破った。かつて「権威」の裏に隠れていた情報消費者であるわれわれが「権威」と同様に情報を生産し、発信できるようになった。
 そして群衆は急速に勢力を増し、洗練の度合いを高め、多種多様な情報をプレディクション・マーケットに持ち寄り、投票というわかりやすい行動によって意見を発信し始めた。群衆自体は互いに見知らぬ関係にある。しかし、その群衆の「独立した判断」の積み重ねが「叡智」となり、ひと握りの「権威」による判断を凌駕する可能性は高いと信じられるようになってきた。それこそがプレディクション・マーケットの根本に流れている。

○ 政治から経済、スポーツイベント、商品先物まで
そうした発想に基づくプレディクション・マーケットは、すでに数多くインターネット上で運営されている。あるものは営利を、またあるものは学術を目的にしているが、実際には前者が圧倒的に多いようだ。
そうした中で、政治を扱う最も有名なプレディクション・マーケットが“イントレード(www.intrade.com)”と “アイオワ・エレクトロニック・マーケット(www.biz.uiowa.edu/iem)である。前者は営利目的であるために賭けの対象となるイベント(このイベントを“コントラクト”と呼ぶ)を多数有し、後者は学術目的で、運営主体がアイオワ州立大学であることから、賭けの上限が500ドルに設定されている特徴がある。
またスポーツ専門では“ベットフェアー(www.betfair.com)”や“トレードスポーツ(www.tradesports.com)”があるが、そのほかにも“ハリウッド・ストック・エクスチェンジ”“シムエクスチェンジ”“ニュースフューチャーズ”“ポピュラー・サイエンス・プレディクション・エクスチェンジ”など、さまざまに趣向を凝らしたサイトがいまなお続々と誕生している。コントラクトの内容も政治・経済、スポーツイベントはもとよりエンターテーメント、天候、注目の裁判は当たり前。「2008年中に米国が景気後退期に入るか否か」というものまであり、まさに多種多様と言えるだろう。
こうしたサイトの多くはヴァーチャル・マネー(仮想通貨)で賭けをするのだが、当然のことながら、そのヴァーチャル・マネーは換金性を有している。そして、商品先物業界に身を置く読者ならばピンとくることだろうが、“エクスチェンジ(取引所)”を名称の一部に取り込んでいるマーケットの多さがある。これは、マーケット運営者自身はリスクを取らず、あくまでも賭けの仲介役に徹するためだ。それはあたかも自らが清算機関(クリアリングハウス)を有する取引所だと言わんばかりにも感じられる。
余計な話だが、既存の清算機関はプレディクション・マーケットに清算機能を提供してビジネスにできるのではないかと思われる。さらに蛇足に蛇足を重ねれば、2004年に営業を始めた“ヘッジストリート(www.hedgestreet.com)”は商品先物およびFX取引のスペキュレーションとヘッジングが可能であることから、CFTC(商品先物取引委員会)の規制を受けている。

○ 取引の収益は予測精度を高めた報償
プレディクション・マーケットで利益を取る仕組みは単純だ。安く買って高く売れば利益が得られる。逆に高く買って安く売れば損をする。現物株式取引と同じだが、カラ売りは認められていない。
例えば、いまイントレードには「バラク・オバマは2008年の米大統領選に勝利するか」というコントラクトがある。6月5日現在の賭け率は「買い」が61.6ポイント、「売り」が60.0ポイント。最新の取引価格は61.1ポイント(=1票6ドル11セント)だが、この価格はコントラクトの人気に応じて刻々と変化するので、自分の購入価格と比べながら「利食い」または「損切り」をすることになる。その差が「収益」または「損失」になることは、商品先物取引を知っている人間には明らかだろう。また、「買い」「売り」のどちらかが最終的に(これも先物業界的にいえば「納会」に)100かゼロになることも付け加えておく。
ただし、「利益はマーケットの予測を結果に近づけたことによる報償、損失は予測を逆方向にミスリードしたことの罰則」(Wikipediaより)と考えられている点を強調しておきたい。
ところで、なぜこうした「賭け」が「予測」に必要なのかという話だ。
実は、米国の大統領選挙に関しては、世論調査よりも「賭け」の歴史に一日の長があるのだということがわかっている。これまでに発見された記録によると、ウォール街では、遅くとも1884年にはそうした「賭け」が交わされていた。そして20世紀初頭の1選挙あたりの総売り上げを2002年の米ドル価値に換算すると、なんと3,700万ドルにも達していた。
さらにここからがウォルファーズの分析に舌を巻くところなのだが、ウォール街の賭けの結果が外れた確率は1.4%で、かの有名なギャラップ調査の2パーセント超よりも優れていることが判明したのだ。つまり、より的中率に優れた予測とはなにか、そしてその予測を可能にするための情報の集積はどのようにしたら良いか――というわけだ。
マーケット(ここでは「賭け」の場の意味)において、自信のない人間は進んで自らのカネをリスクにさらそうとはしない。逆により強い確信(あるいはインサイダー情報)のある人間は、その確信を賭けという行為によって表現しようとするのである。

○ 誤った情報を正すアービトラージ
しかし、マーケットには常に正しい情報ばかりが届けられるとは限らない。参加者はなるべく正しい情報を賭けに反映させようと努力をするが、時としてバイアスがかかる場合がある。例えば、先の民主党候補レースには、おそらく誰もが途中でリタイアすると考えていたパット・ブキャナンも参加していた。日本人は名前すら知らないかも知れない。
そのブキャナンが自らの支持者に向かって、プレディクション・マーケットで「ブキャナン先物」を買えと命じたらどうなるか。一時的には「買い」が「売り」に勝るかも知れず、結果として「時価」は上がるだろう。だが、それに気づいた人々はどういう行為に出るか。当然、ミス・プライシングに気づいて「売り」に出るだろう。すなわちアービトラージである。そしてそれ自体は、マーケットの健全性を証明することになる。だが一時とはいえマーケットが、最終的に終息すべき方向とは違う方向に進んだことをどのように評価するのか。それはプレディクション・マーケットも他のどのような市場と同じで、「くず情報を投げ込めばくず(誤った結果)が出てくる」ということだ。
くずを正すのは正しい情報だけである。先物市場が先行指標と機能するためには常に正しい情報が供給されなければならない。それこそが市場の予測精度を高め、結果として市場の「信頼性」や「有用性」を向上させ、「競争力」を強化することになる。
6月5日現在、イントレードでは、共和党マケイン氏の勝利に対する「現在値」は35.1ポイントでオバマ氏が有利の判定。また今年中に米国が景気後退期に入るとする予測は32.0ポイントがつけられている。



(企画調査部門 小島)

サイトマップ  プライバシーポリシー  免責事項

 

Copyright (C) 2000~2004 JAPAN COMMODITY FUTURES INDUSTRY ASSOCIATION. All Rights Reserved.