グローバルマーケット観察記

第3回 アルゴリズム取引がやってくる

-最先端取引のメカニズム、その理由-
 
 
 経済産業省はさる6月27日に「工業品先物市場の競争力強化」に関するシナリオを公表、「具体的な取組」の冒頭に「プロ市場化と市場参加者の利便性増大」を掲げた。そして、その目的達成のためには「世界最高水準の新たな電子取引システムの早期導入」が条件のひとつだとしている。一方で、グローバル市場を舞台に活躍する市場参加者(=プロ・トレーダー)たちは“アルゴリズム取引”と呼ばれる最先端の取引技術を駆使し、日々1000分の1秒単位の駆け引きを繰り広げている。つまり世界水準の取引システムになると “1トレーダーあたり毎秒千件”を超えるアルゴリズム取引に対応できなければならないということがいえる。「世界水準」の取引の現状を探った。


● 売買チャンスの判断をコンピューターにゆだねる
 世界の先物取引関連業者・団体で組織する市場振興機関の全米先物業協会(FIA)は機関誌の『フューチャーズ・インダストリー(FI)マガジン』6・7月号に「アルゴリズム取引〜差別化を模索」と題する記事を掲載した。米国先物市場におけるアルゴリズム取引はすでに揺籃期を脱して競争期に入っており、システム開発者たちはライバルを出し抜くことに心血を注いでいる――というのがその要旨だ。
 アルゴリズムとはそもそも「なんらかの問題を解くための手順」のことをいう。そして実際には問題解決の道具として、人間よりも格段に早く、正確に計算ができるコンピューターを用いるのだが、その金融取引への応用がアルゴリズム取引というわけだ。ちなみに金融取引特化型のネット辞書“インベストペディア”はアルゴリズム取引を「最先端の数学モデルを駆使して金融市場における取引の意思決定を助けるシステム」と説明している。
 よりイメージを明確にするなら、株でも為替でも先物でも、金融取引でより効率的に収益を獲得するため、一定のルール(アルゴリズム)に基づいてコンピューターに売買指示を出させる――というものである。そしてその指示は100分の1秒、1000分の1秒の極限とも思える時間で刻まれ、トレーダーのコンピューターが取引所のコンピューターに直接伝える方式(ダイレクト・アクセス)が、いまや世界の主要な金融市場における潮流となっている。
だがこれを実現するためには、現実的には、人間の介入を限りなくゼロに近づけることが必要。計算機を使って理論値をはじき出している間に、ライバルが良い値段をさらっていってしまうからだ。後に詳述するが、つまり人間の反応は遅すぎるため、すべてを「コンピューターまかせ」にせざるを得ないのである。

● 1000分の1秒の争い
それにはまず利益獲得の前提のもと、「どういう条件になったら売買注文(*1)を発する」または「キャンセルする」というアルゴリズムを組み、その「条件」をコンピューターが自動的に判別できるようにする必要がある。
 その「条件」は「板の厚み」かも知れないし、「出来高」や「取組高」、さらにはそれらの「時間的推移」の組み合わせかも知れない。それはアルゴリズムの設定者次第だ。だがここで挙げた「条件」はいずれも必須項目であり、そのもととなる「情報」は取引所が所有している。だからその「情報」は取引所から電気信号で送信してもらわなければならない。
 この情報の配信技術はアルゴリズム取引を現実化するためのインフラのひとつといえる。東工取はこの情報配信時間について、現行の1秒周期(平成19年7月から。それ以前は3秒)を次期システムではリアルタイム化するとの計画を立てている。
 ではトレーダーのコンピューターが取引所からリアルタイムの「情報」配信を受け、その結果、売買注文発注の「条件」が満たされたとしよう。次の関門はその注文の送受信である。
 現在の東工取の受注応答性能は500ミリ秒(=2分の1秒)。一般的な感覚ではきわめて高速に感じるだろう。だが、アルゴリズム取引の世界では、それでは遅い。世界標準は約50ミリ秒。つまり東工取の10倍の速さで世界の取引所は動いている。そしていまや、1ミリ秒(東工取の500倍!)を争うところまできている。
 では、なぜそれほどの速さが要求されるのか。それにはアルゴリズム取引が、先物世界では主としてスプレッド取引(アービトラージ)に利用されていることと関係がある。

● 一瞬の歪みを利益に変えるために
一般的には、アルゴリズム取引は米国の現物株式市場で始まったといわれている。マーケット・インパクトの回避が目的で、証券会社は莫大な資金を背景にポートフォリオ運用をする機関投資家やヘッジファンドなど、いわゆる“バイサイド”の大量注文を効率的にこなすためのシステムを開発した。それを支援したのがITの発達だ。証券会社は1990年代後半には、「分割・少量」の注文発注をコンピューターに任せるようになっていた。
だがこの段階の注文発注システムは、まだアルゴリズム取引と呼べるものではなかった。本格的なアルゴリズム取引が登場するのは、取引発注のトリガー(引き金)となる各種情報を、電子データでシステムに取り込めるようになってからのこと。これにより注文の発注条件を「何分間隔」から「より良い価格を判断して」とプログラミングすることが可能になった。2003年頃の話だ。
証券各社はこうしたプログラム(*2)を専用端末に組み込んで顧客に提供。顧客の抱え込みを図った。その後、ISV(独立系ベンダー)やソフト開発会社が“ブローカーを選べる”システムを提供し始めたことから普及が加速していった。
 しかし売買チャンス(タイミング)の策定を含む取引の全自動化を目指す動きは、先物業界では、「ユーレックスの前身のドイツ取引所が世界初のコンピューター取引を開始したとき」(FIマガジン)から始まっていたとされる。オプション取引で頻繁に繰り返される『注文→キャンセル→注文』という取引行動の高速化を目指して、「マーケット・メーカーが一連の流れのシステム化を目指した」ことが始まりだという。
 オプション市場では、トレーダーは異なるストライク・プライス(権利行使価格)のプットとコール価格の歪みを巧みに組み合わせて収益をしぼり出そうと努める。だがタイミングをひとつ間違えればその戦略は意味をなさなくなる。一瞬前に利益が約束されていた価格の歪みは、多数のトレーダーの存在により、つねに解消の方向に動こうとしているからだ。だから人間よりも断然に反応が早いコンピューターの利用がものを言う。正しいアルゴリズムを搭載した取引システムがあれば、スプレッドの構築はどれほど有利になるか想像に難くない。
 またそうしたスプレッドはオプション同士、オプションと原市場の組み合わせで無数に生じ得る。だからタイミングを判断したプログラムは莫大な数の売買注文を取引所のコンピューターに送信することになる。そして次の瞬間に、例えば原市場で価格変動が起きて「条件」が変わったら、今度は先の注文をすべてキャンセルし、新たな「条件」に見合った注文を出し直す。それを延々と繰り返すのである。

● 競争力維持のための戦い
これについてFIマガジンは大手FCM、JPモルガン・フューチャーズのラッセル・アブラムソン氏に「アルゴリズム取引では1秒以内に数千のオーダーを取引所に送信することが可能。実際にトレーダーはそうしており、価格変動に応じて絶えず注文とキャンセルを繰り返す中で価格のかい離を探り出し売買チャンスを実らせている」と語らせている。
 当然のこと、取引所にはアルゴリズム・トレーダーの倍数に等しい注文が、それこそ怒涛の勢いで押し寄せてくる。だからコンピューターの容量は並大抵のものではおさまらない。しかも「1秒間に数千」は現在の技術の限界である。ここ数年のIT技術の進化速度から推して、いつ数万数十万になっても不思議はない。東京工業品取引所が世界の取引所とのレースに参加した場合、「国際水準」の次期システムの導入そのものよりも、むしろ競争力維持のための努力に汗を流すことになりそうだ。
 取引所の競争力維持努力とビジネス展望について、9月12日付の日本経済新聞は興味深い記事を掲載している。8月の出来高が3億枚を越え過去最高(前年同月比84%増)を記録した米国のオプション市場について、オプション・クリアリング・コーポレーション(OCC、*3)のマイク・カヒル最高執行責任者(COO)から「米オプション市場では近く1セントの(ストライク・プライスの)値刻みを導入する」予定と、その理由「アルゴリズム取引利用者の本格的な参入予想」を聞き出しているインタビュー記事がそれだ。
ストライク・プライス幅の縮小で、オプション価格は原市場の値動きに対する感応度を高めることができる。幅が広ければ、原市場の1ティック(最小の値刻み)の値動きがオプション価格に反映されない可能性があるからだ。つまりはそうした理論と現実のギャップを埋めるための作業だが、縮小はそれだけの流動性(=市場利用のニーズ)が前提となる。それはカヒルCOOが語った通りだが、さらにその前段階として、より小さな価格差から利益を抽出できる技術的裏づけが必要であることは言うまでもない。

● エネルギー市場が熱い
 アルゴリズム取引が熱いのは商品市場も同じだ。
 ニューヨーク・マーカンタイル取引所(NYMEX)は昨年8月、シカゴ・マーカンタイル取引所(CME)が開発した電子取引プラットフォーム、グローベックスに看板商品の原油先物を乗せ、ほぼ24時間取引を実現した。だが、実はその2年以上前からインターコンチネンタル取引所(ICE)は自らのプラットフォームに莫大な設備投資をし、自所のエネルギー先物市場がアルゴリズム・トレーダーを魅了するように研ぎ澄ましてきた経緯がある。その結果生じたのは2市場間の顧客の奪い合いではない。市場間スプレッドによるアービトラージであり、2取引所のウィン=ウィン関係だ。
 今年1-5月の出来高実績では、NYMEXのWTI原油先物が4830万枚(世界の全コモディティ1位、前年同期比71.54%増)、ICEの同先物は2095万枚(同4位、219.39%増)。ちなみにICEのブレント原油は2465万枚(同3位、48.15%増)となっている。
その後、NYMEXは今年6月にエネルギーおよびメタル先物各種のオプションをグローベックスに追加上場した。他市場のオプション・マーケット・メーカーやトレーダーたちがこれにどう反応するか、その動向が注目される。

● 取引所への回帰
だがアルゴリズム取引の隆盛は取引所に新たな対応を求めることにもなった。“コ・ロケーション・サービス”がそれだ。
かつてトレーダーは取引所(フロア)の近隣にオフィスを構えるのが常だった。しかし市場のコンピューター化は取引所のサイバー化を実現。結果、トレーダーは世界のどこにいても同じ条件で取引が可能となり、必ずしも取引所の近くにいる必要はなくなった。ところが、最近になって、トレーダーは改めて取引所の近隣に物理的なスペースを必要とし始めている。もちろん手振りのためではない。
トレーダーと取引所のコンピューターは光の速さでつながっているのだからその必要がないと思われていたのはアルゴリズム取引“以前”の話。トレーダーが取引をミリ秒単位で競うようになって事情は一変した。
例えばユーレックスの場合、注文を送信して約定、返信までに要する“ラウンド・トリップ”タイムは、「ロンドンからの最速の接続方式で約29ミリ秒。シカゴからは138ミリ秒」(FIマガジン)かかっていた。だが昨年8月 にトレーダーのコンピューター・サーバーを取引所コンピューターに「物理的に限りなく近づける」コ・ロケーション・サービスを実現。同時間を10ミリ秒以下に短縮した。
同サービスを世界で最初に取り入れたのはICEで、昨年夏のこと。その後ユーレックスが続き、そして今年10月中にはCMEが、さらにユーロネクスト今年中の導入を予定している。
 問題はそれだけではない。複数の取引所間のアービトラージ(インター・マーケット・スプレッド取引)をどうクリアするかだ。
 ひとつの取引所にサーバーを近づければ他方から遠のく。それではアービトラージが齟齬をきたす可能性がでてくる。この問題をクリアするためには、サーバーをもうひとつ設け、他方の取引所のコ・ロケーション・プログラムに参加するほか、いまのところ手だてはない。その上でふたつのサーバー間で生じるミリ秒単位のタイムラグを調整するという手法だ。
 市場の進化は取引所とトレーダーの双方にとって、無限のシステム投資を強いる側面がある。だからといって先進システムの導入を拒むことはできるだろうか。フロア取引に固執したかつての世界最大の取引所、シカゴ・ボード・オブ・トレードはいまやCMEの軍門にくだっている。



*1 売買注文
ここでいうとは主として発注のタイミングを指すが、場合によっては商品や枚数を含む場合もある。
*2 プログラム
フロントエンドという。
*3 オプション・クリアリング・コーポレーション
SEC(米証券取引委員会)傘下のオプション取引所(証券取引所を含む)のアウトハウス型共同清算会社。
(企画調査部門 小島)

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