3.産地視察ツアー

2月初旬とはいえ、ヒューストンは暖かい。今日のように晴れた日はなおさらだ。ただ、さすがに眠い。コンチルンタル航空6便は前日の午後5時10分と定刻に成田を出たが、11時間40分のフライトで、現地午後時間1時50分の到着予定が30分遅れて、午後2時20分にヒューストン・ジョージ・ブッシュ・インターコンチネンタル空港のEターミナルに到着した。

もちろん、ここが最終目的地ではない。これは北野トレーディングが顧客の焙煎業者を連れて行く恒例の産地視察ツアーである。今回はグアテマラの3農園を視察する予定だ。日本から中南米への直行便は、基本的にはない。このためアメリカのマイアミ、ダラス、ヒューストンなどを経由した乗り換え便を使うことになる。今回は最も運賃の安かったコンチネンタル航空を使い、ジョージ・ブッシュ元大統領(父)の大きな銅像に迎えられることになった。


参加している焙煎業者は、北野トレーディングとグアテマラ産のターム(1年〜1年半)契約を結んでいるベストコーヒー、JMC、村瀬珈琲の3社で、参加者はベストコーヒーが尾島と部下の中島、JMCが古江伸一郎、村瀬珈琲が山崎、それに随行の北野トレーディングの食料部コーヒーチームのチームリーダー、中川文則の総勢5名である。産地視察ツアーはこの程度の小規模のものがほとんどである。参加費は焙煎業者の自己負担となるため各社1名の参加がふつうだが、今回は尾島がまだ中米産地を見たことがない中島を教育のために同行させた。なお中川は北野トレーディング時代の尾島の部下であり、また他の2名も旧知である。要するに新参者は中島のみということだ。中米産の視察ツアーは、収穫が峠を越して作柄や品質の評価が固まり始める2月ごろに行われることが多い。

Eターミナルは、コンチネンタル航空専用である。2005年1月にIABという新国際線ビルがオープンして非常に便利になった。尾島たちは6便の荷物を受け取り、税関検査・国境警備局の入国検査を終えて、次の453便のチェックインを済ませた。そのフライトもEターミナルからのため、TerminaLink(自動無人運転システム)でターミナル間を移動する必要はないが、U字型のEターミナルはとてつもなく大きい。搭乗ゲートが24もある。一連の作業を終えたときには午後4時を過ぎていた。一段落したところで、尾島が切り出した。

「グアテマラシティー行き453便は7時10分出発で、6時ごろに始まるボーディング(搭乗手続き)まで時間がある。コーヒーでも飲みにいこうか」

尾島は職業柄、旅行先では極力コーヒーを飲むようにしている。5人は世界的な大手コーヒーチェーンであるベリーズに入った。カップテストのときの癖で、つい「シュッ」と音を立てて吸い込みそうになって苦笑いをすることもある。余談だが、日本に進出しているこういった大手コーヒーチェーンは、母国の米国で焙煎作業を行い、それを輸入しているため日本の商社の顧客にはならない。

「中川君、今年のグアテマラ産の出来はどうなの」と尾島が聞く。
「概して出来がいい模様ですが、一部で降雨不足の地域もあったようです。それにしても、アメリカは来るたびに入国審査が厳しくなっていますね」と中川が言う。
「写真や指紋取られたんじゃ、アメリカでは悪いことできんわ」と山崎が豪快に笑う。
「人生で初めて写真と指紋をセットで取られました」と中島。
「でも日本でも導入が決定したそうですよ」と古江。
「じゃ、日本でも悪いことでけへんな」と、山崎がさらに笑った。

グアテマラシティー行きの453便はボーイング737で、6便の同777に比べるとかなり小型だ。加えて、機内アナウンスはそれまでの6便が英語と日本語なのに対して、英語とスペイン語になる。当たり前のことだが、尾島はいつもこれを聞くと中米にやってきたという実感が沸いてくる。3時間弱のフライトのあと、グアテマラシティーの南郊のゾーナ13にあるラアウロラ国際空港に着いた。到着は午後10時で外は真っ暗である。市の中心にあるゾーナ10のホテルに着いたのは午前0時を過ぎていた。日本から約30時間の長旅で着いた途端にみんな“バッタンキュー”である。


翌朝8時に現地の輸出業者、カスティーラの担当者がバンでピックアップしてくれた。名はホセといい、やはり尾島とは旧知の間柄である。ホセは英語が話せるのでコミュニケーションに支障はない。時おり変な日本語も混ぜてくれるのはご愛嬌だ。
今回訪問するのは、アンティグア、アティトラン、サンマルコスというグアテマラシティーの南西に広がる比較的近い地域である。近いと言っても、最も遠いサンマルコスまでは約200kmあり、日帰りはできない。各地域1日がかりで視察して、そこの民宿(というよりリゾートホテル並みだが)に泊まる。

「富士山みたいですね」とバンの中で中島が“思わず”といった感じで声を挙げた。
「アンティグアは古都だ。火の火山、水の火山という象徴的な火山がある。良質のコーヒー産地としても有名で、最近は有機コーヒーも増えてきた。そこのフィンカス(大農園)に行く」と尾島。

実情を言うと、アンティグア地域は欧米業者と独占契約している農園が多い。また、世界的なコーヒートレーダーのレオ・カフェの焙煎工場もある。しかし北野トレーディングは昔からの付き合いで、カスティーラからこの地域産のものを回してもらっている。最高級と言えるS.H.B(ストリクトリー・ハード・ビーンズ)の主産地である。チョコレートのような甘さのあるフレーバーと深みのあるボディが特徴だ。

約30分でフィンカ・パストーレという大規模な農園に着いた。ここは敷地内に水洗式精製工場まで完備している。農園主のマリオが歓迎してくれた。この農園もやはり欧米企業が主たる取引相手である。マリオはスペイン語しか話せないため、基本的にはホセが英語に通訳して、それを英語の分からない中島、古江、山崎のために、中川が日本語に通訳するという形だ。当然、新豆のS.H.Bを飲みながらである。

「今年の出来はどうなの」とホセが尋ねる。
「今年はなり(実のつき具合)も粒の大きさも良好だ。ここまでの収穫進捗も80%と順調で、先週はアメリカのオルジャーズ(大手焙煎業者)が来て、ニューヨーク“C”+6セント(*注7)で10ロット(1ロット=250袋)ずつ1年半のターム契約をしていったよ」とマリオが愛想よく答えた。
「今回はすでにターム契約をしているお客さんを連れて視察に来たわけで…」とホセ。 「4月を過ぎるとブラジル産地の降霜懸念に対するプレミアムで相場が上がりやすくなるからその前に買う(プライス・フィキシング)こったな」とマリオ。
一同、時間差で笑った。

ちなみに中米産マイルド(水洗式アラビカ)コーヒーは通常、ニューヨークの相場に対してプレミアムで取引される。逆にブラジル産はディスカウントで取引されることが多い。またブラジル産の豆はニューヨークのICE(インターコンチネンタル取引所)の供用品としては認められていない。

一日のメインの食事である昼食を取った後で一同は農園に出た。途中にコーヒーのパーチメント(*注8)が砂丘のように山積しているそばを通った。

「中島、ここでは天日干しで豆を乾燥させている。水分が12%前後までに減少するのには約3〜4週間かかる。100%天日干しというのが重要だ」と尾島。
さらに中川が「この農園では月2回のペースでアナカフェ(グアテマラコーヒー協会)の指導員が技術指導をしており、収穫時期には品質チェック表も出し、きちんと管理されています」と付け加える。

収穫してきたばかりのチェリー(*注9)を見せてもらう。
「こりゃ去年より粒が大きいわ」とほぼ毎年訪れている山崎がいう。
「量も多いですね」と古江。

収穫は完熟した実だけを手で摘み取る。これが簡単なように見えてなかなか技術のいる作業である。特に収穫の最終段階になると実が少なくなり作業に時間がかかる難点がある。



2日目以降は、視察としては、内容に大きな違いはなかった。2日目の訪問地となったアティトランでは、中島が、今度は湖のあまりの美しさに感嘆の声を挙げていた。3日目はサンマルコスからさらに2時間ほど奥に入ったバランカグランデという、ほとんど密林のような土地を訪れた。ここの豆は良質だが大量生産をしていない。このため欧米業者の手が入っていない。

最終日はそのバランカグランデからほぼ7時間をかけてグアテマラシティーに戻るという強行軍となった。運転してくれたホセには感謝、感謝。

後日、尾島は中島に視察ツアーのリポートを出させたが、予想通りアティトランの湖の美しさを一番に挙げていた。まあ、これもいい経験になっただろう。

アティトラン湖

*注7 ニューヨーク“C”+6セント:ニューヨーク・コーヒー先物の期近に6セントのプレミアムを付けて。
*注8 パーチメント:チェリーから果肉を取り除いた実はパーチメントと呼ばれる白く固い殻に覆われている。コーヒー豆はパーチメントを“脱穀”したのちに焙煎する。
*注9 チェリー:コーヒーは完熟すると赤くなり、さくらんぼに似ていることからこう呼ぶ。