3.腹案


2.旧友との再会

渋谷は大塚から原料コストを減らす方法を提出するように指示された夜、大学時代の旧友と飲む約束をしていた。少しだけ残業をしたあと待ち合わせ場所に向った。夕方の電車で前に立っているサラリーマンが読んでいる夕刊紙にも大豆の値上がりを伝える記事タイトルが踊っていた。
「大豆加工食品の豆腐、みそ、納豆、醤油の4業界団体が値上げで結束」
自分のやってきた仕事に関係した何かがマスコミにこれほど取り上げられた記憶は渋谷にはなかった。

約束の夜7時まであと少しというところで予約していた落ち着いた雰囲気の和風創作料理の店に着いた。予約を告げ個室に案内されると、そこには久々に見る神田秀樹の笑顔があった。


「久しぶり、渋谷」
「久しぶりだな、神田。お前ちょっと会わないうちに太ったんじゃないか」
「久しぶりに会うのにいきなり失礼だなぁ。恰幅が良くなったと言ってくれよ、恰幅が良くなったと」

ビールで乾杯したあと、汲み上げ豆腐が出てきた。神田はそれを口にすると、「うん、これはうまい。最近食べた豆腐で一番うまいんじゃないかな。大豆のほのかな甘みがする」と喜んだ。

「そうそう大豆と言えば、すごく値段が上がっているらしいな。今朝の新聞にも、そのせいで醤油が値上がりするって書いてあったぞ。お前のところも大変なんじゃないか。お前の会社がつくっているサラダ油って、大豆が原料なんだろ」
「そうだよ。かなり大変だな。大豆も値上がりがすごいけれど、大豆だけじゃなくて原料全部だよ、値上がりしているのは」

「へぇ、そうなんだ」
「しかもうちなんか大手じゃないし余計に大変だよ」

「でもさ、大豆ってなんでそんなに高くなっちゃんたんだ?」
「そうだな、お前アメリカが世界最大の大豆の生産国って知っているか」
「初めて知ったよ。それで?」
「そのアメリカは世界最大のとうもろこしの生産国でもあって、国内的には大豆の主産地ととうもろこしの主産地が重なっているんだ。つまり、どちらかの生産を増やせば、どちらかを削らざるを得ないということさ。で、アメリカが国策としてバイオ燃料の生産を積極的に推し進めることになったのは知っての通りだ。バイオ燃料、すなわちエタノールのことだが、米国の農家はその原料となるとうもろこしの作付けを劇的に増やしたんだ。結果、大豆の作付けが減ってしまった。それが大豆価格上昇の最大の要因だろうな。加えて投資ファンドと呼ばれるような大量の資金を保有する大口の投機筋が価格の上昇を見込んで買ってきていることもかなり影響しているな」



「でもそれってアメリカの話だろ。日本で使う大豆って、日本で生産されているんじゃないのか」
「違う、違う。食用油の原料として使っている大豆はもちろん、食品用大豆の供給も海外からの輸入品に依存しているのが実情だよ」

「えっ、そうなのか。でも豆腐、みそ、納豆、醤油といえば、日本人の食文化そのものだろ。その大部分が輸入大豆でまかなわれているというのもなんだか情けないような、さびしいような気がするな」
「でもお前そんなこと言ったら、日本の食料全部そうだよ。日本の食料自給率の低さって危機的だよ。何かあって、ある国が自分の国の食料供給を満たせなくなった時、他の国に輸出するか。しないだろ。日本人はそのあたりのことをほとんど気にしていないみたいだけれどおれは心配だな」

そのあとは大学時代の思い出話になった。だが渋谷は今朝の大塚常務からの指示が気になって、神田の話を聞き漏らすことがあった。

「おい渋谷。お前おれの話聞いてるか?」
「お、すまんすまん。ちょっと考えごとをしていた」

「お前、何かあったのか?」
「うちの部の担当常務から直接呼び出されたんだ。今日の朝一番に」

「何かやらかしちゃったのか。いや、お前が大きなヘマはすることはないだろうな。いったい何を言われたんだ?」
「さっきお前が心配してくれていたようにうちも原料の大豆の価格高騰に苦しんでいるだよ。それで、その原料コストの削減案を出すように言われたんだ」

「そうか大変そうだな。それでお前、何かいい案があるのか?」
「実は先物市場をうまく使えばコスト削減につなげられるんじゃないかと思っているんだ」

渋谷は神田と飲んだあとの帰り道を1人で歩いていると、酔いがさめながら不意に大塚から指示された仕事の重圧を感じた。