1.中島の決意

「高橋さん、お疲れさま。今日はどうでしたか」

中島章は閉店直後の直営店に足を運び、ショウケースの中を整理している高橋恵子に声をかけた。

「あ、社長。お疲れ様でした。そうですね、今日は比較的若いカップルが多かったので、シルバーリングの売れ行きがよかったです。あとはホワイト・ピンクゴールドの人気が相変わらずあります」
と、高橋は小さな手を止め、笑顔で答えた。

高橋は入社してもうすぐ3年。普段はくりくりと大きいが笑うとなくなる目、それにエクボがなんともかわいらしい。そして接客では、話題の豊富さと柔らかな話し方が好評で、高橋を慕ってくるリピーター客も多い。そんな高橋に中島は期待しているのだった。

「そうですか、それは良かったです。お客様の嗜好の変化や気づいたことがあれば何でも教えてください。わが社はメーカーでもあるので、お客様と直結している現場の意見は常に大事にしたいのです。だから高橋さんからの意見、期待していますよ」

「本当ですか、ありがとうございます」
と、嬉しそうに答えると、再びテキパキとショウケースの整理を開始したのだった。

中島は宝飾の製造加工・卸・販売までを一貫して行う中島ジュエリー株式会社の社長である。フットワークの軽さ、それに時代を読む嗅覚のするどさには昔から自信があった。また大手宝飾店や有名デザイナーなどとコラボレートした商品が芸能人に気に入られ、それが女性誌などで大々的に取り上げられたことによって、これまで売上を伸ばしてきた。

しかし、ここ数年の貴金属価格の高騰や海外高級ブランドブームの流れには逆らえず、多くの宝飾加工メーカーや宝飾店が苦しい経営を続ける中、中島ジュエリーの売上にも陰りが見え始めていたのだった。


宝飾業界が苦戦を強いられているのは貴金属価格の上昇や海外高級ブランドの影響だけではなかった。かつて働く女性の増加は「自分を着飾るジュエリー需要」をもたらしてくれた。それが今では「自分自身への投資」という観点から、「同じ30万円を使うならエステや語学、旅行に」という流れへ変化している。宝飾品需要の伸び悩みはそうしたトレンドの移り変わりによっても大きな打撃を受けていた。

海外ほどではないにしろ、男性から女性へのプレゼントとして贈られるケースも多い。しかし80年代のバブル崩壊以降、経済成長率の鈍化が災いして男性陣の懐具合が寂しくなっていることも、宝飾業界の売上に深刻な影響を与えていた。


常に開けっ放しにしている2階の社長室に戻って手帳のチェックをしていると、マーケティング部の渡辺が入ってきた。

「社長、依頼されていたデータを持ってきました」
「ありがとう。では、どんな傾向があったか要点だけ簡単に教えてくれますか」

渡辺はいつものように何も見ず、要点だけを短いことばで話し始めた。
テンポの良さと単純明快さが渡辺の魅力である。

「過去2年の売上動向を見ていきますと、30万円以上の高価格帯と3万円以下の低価格帯の売れ行きは好調です。特に30万円以上の高価格帯の伸びは、展示会や外商などを含めると目を見張るものがあります。しかし、中間帯となると月を追うごとに悪くなっている感じが伺えます」
「なるほど。やはり中間帯が悪く高価格帯がいいですか。これはどこの業界も同じ傾向のようですね。では海外の状況はいかがですか」
「はい。原油価格の高騰で潤っている中東諸国や、急速な経済成長が続いているBRICs諸国(ブラジル、インド、ロシア、中国)の売上はやはり伸びております。こちらも高価格帯のジュエリーは好調です。中東は言うに及ばずですが、BRICs諸国ではニューリッチ層の影響かと思います」
「ニューリッチ層ですか。特に中国はその傾向が強いでしょうね。ただでさえ貴金属への執着が強い国でもありますし。わかりました。遅くまでご苦労さまでした。あとでデータを見ますのでそこに置いといてください。ところで渡辺君は昨日も遅かったのではないですか。たまには早く帰って、子供と一緒にご飯を食べてあげなさい。子供の成長は本当に早いですから」

中島は常にねぎらいの言葉を忘れない。というよりも自然に口にしてしまうのだった。

結果はやはり、中島が思い描いていた通りだった。この高価格帯に現状の打開策を見つけようと、数カ月にわたって頭の中で試行錯誤を繰り返し、イメージしてきた。特に、ここ数年来、中国・台湾・韓国へのプラチナ完成品の輸出は際立って伸びており、日本製のプラチナジュエリーは支持されている。販売戦略次第では追い風になると睨んでいたのだった。

そこで中島はターゲットを高所得者層に設定し、デザインには「和」を全面に押し出すことにした。そしてマーケットはもはや日本だけを見るのではなく、積極的に世界中のニューリッチ層に売り込んでいこうと思っていた。

そうする過程で、故郷山梨の職人たちに元気になってもらい、地元に恩返しをしたいと常に思っているのである。

そんな強い意気込みと故郷への想いを持って今回は、久々に業界に対して大きく打って出ようと覚悟を決めた。