6.ある焙煎業者の要望


すっかりポカポカ陽気となり、桜が満開となった4月のある日。尾島は再び斉藤に100枚の買い注文を支持していた。1月限と同様の相場パターンとなり、5月限は4月に入ってから18,000円を割り込み、17,000円台半ばでのもみ合いとなっていた。キロあたり250円台なら極めておいしい水準である。
ひと通り話が終わったところで、斉藤が切り出した。

「毎度ながら尾島さんの相場観には敬服します。ところで尾島さん、焙煎業者さんでうちのお客さんになってくれそうな会社さんをご存じありませんか」
「現状で積極的に東穀取の利用を考える会社は思いつかないなあ」
「そうですか。しかし東穀取の認証作業に関わっている焙煎業者さんは多くいらっしゃいますから、先物市場を理解されている焙煎業者さんは少なくありませんよね」
「そういうことなら、村瀬珈琲の山崎さんが東穀取の検査員をやっておられる。私も良く知っているが、東穀取にも興味をお持ちのようだ。君の期待通りになるとは限らんが、紹介だけならしてあげよう」
「ぜひ、お願いします」

数日後、春にしてはやや肌寒い日となったが、斉藤は尾島から紹介された山崎にアポイントメントを取り、新宿駅東口の雑踏に近い村瀬珈琲本社を訪問した。
斉藤はひととおりを説明し、中でも先物市場の利便性と、市場を利用する有益性を強調した。山崎はひととおり黙って聞いた後、ひと段落したところを見計らって例の大阪弁で切り出した。


「斉藤さんは焙煎業者の状況をどの程度ご存知でしょうか。国内のコーヒー取引の8割以上は、ニューヨークやロンドンを指標としたベーシス取引で行われています。うちら焙煎業者はプライス・フィキシングのため、ニューヨークやロンドンの値動きはよう見てますけど、東穀取の値動きを追っとる焙煎業者がどのくらいいるんでしょうかね」
「それほど少ないものでしょうか」
「私自身は東穀取の値動きも追っとります。アラビカ先物が現物価格より安く納会する傾向があることもよう知ってます」
「それでも受け方として参加されないのはどのような理由でしょうか」
「ベストコーヒーさんのようにインスタントコーヒーのメ−カーで、シックス・ホースメン(中米六カ国)産やったらどこでもよく、かつ大量に消費するようなら、東穀取を定期的に利用する価値はあるでっしゃろ。でも、うちらのようなところでは、最低250袋(*注10)を同一オリジンで受けて、しかもそのオリジンが受けるまで分からないというのではリスクが大き過ぎますわ」
「それでは仮に50袋に単位を落としたらいかがでしょうか」
「それは受けやすくはなりまっけど、仮にそうなれば、今度は証明書が付かなくなる可能性がおますね。輸入は250袋を最低ロットでやってますんで。一長一短でんな」
「それでは、どうなれば使い勝手が向上するとお考えでしょうか」
「これはよく言うてるんですけど、ニューヨークみたいに認証在庫を発表してほしいんですわ。尾島さんに聞いたら、今の東穀取の認証在庫は推定で5千〜1万袋程度だそうですわ。これぐらいだったら、オリジンが発表されれば、自分とこのブレンドを見ながら受けたいと考える焙煎業者も出てくると思いまっせ」
「なるほど。しかし現状では参加する気にはなれないと…」
「いや現状でも、そちらの方で渡し物のオリジンがあらまし分かるようでしたら、受けてもええとは思うとります」
「そうですか。私は渡し方の商社さんも顧客におりますので、その辺は情報をご提供できると思います」

斉藤は山崎の話ぶりから大いに見込みがあると思ったが、それ以上は無理強いをせずに、今後定期的に情報提供することを約束して帰った。

なお5月限の結果は、ベストコーヒーが100枚受けて、納会値は18,230円。尾島の平均買値は17,000円台前半と、これまた1月限に続いて絶妙の仕事になった。


*注10 250袋:東穀取のコーヒーの受け渡しは5枚(250袋)単位。