1.異動
7.予想外の納会
8.資源獲得競争は続く


7.予想外の納会

ゴムチームに入って約2カ月が過ぎた。毎日、ポジション表とにらめっこをしながらトレードをこなしているといった状況だ。そして、きょう“納会”という特別な日を過ごした。坂田も真木も、いつもとは若干違う印象を身にまとってはいた。だからと言ってトレードの最中に何かが起きたわけではなかった。

「納会、無事に終わりましね」
「あぁ」
坂田が訝しげな顔をした。
「どうかしたんですか」
「いや、まだうわさの段階なのだが、どうも産地のシッパーが現受けに回ったらしい」
「えっ?どういうことですか」
「言葉どおりの意味だよ」
坂田にしてはめずらしく冷たい返事を返してきた。考え事のじゃまをしてしまったのだろうかと、すまない気持ちになった。だがテーブルの上に置き去りにしていた冷めたコーヒーをひと口すすった後、数秒の間を取ってから、再び坂田に話しかけた。


「シッパーといえば産地の輸出会社ですよね。それが東京で現受けするというのは、最初に産地で自分が売ったものを、わざわざ東京で買い戻すということになりませんか」
「そういうことになるな」
坂田は、先ほどの訝しげな顔とは違い、ひと通りの思案はついたというようにゆっくりと言った。

「どうするつもりなのでしょうかね」
「なぁ岡田、今回の納会の特徴は何だった」
「安納会ということでしょうか」
「そうだな。ただ前日比3.5円安で受渡枚数が188枚。安納会と言えば安納会だが、平穏納会と言ってもいい水準だろう」
「坂田さんは、今月の納会はどうなると想像していたのですか」
「実はもっと安くなると思っていた。きみは今回が初めての納会だし、そこまで調べていなかったと思う。しかし、実は今月渡される荷物の中味には、来月には期限切れとなる品物が混じっている」

「期限切れですか」
「東工取のルールに則って売り方が買い方に渡すことができる天然ゴムには一定の範囲がある。それを供用品と言うのだが、東工取には、売り方すなわち渡し方の天然ゴムが供用品として適格な品物かどうかを検査するシステムがある。そしてその検査を通った品物は向こう6カ月間、供用品として売り方が実際に渡すことができる規程だ」
「それは、タイで権田さんにうかがいました」
「では、その6カ月の間に渡さなかった荷物はどうなる?」
「確か、もう一回検査をして、それで品質に問題がなければ、渡せるはずだったと思います」
「そうだ、それが再検というやつだ。再検をした品物は次の6カ月の間も供用品として渡すことができる。ただし、それがラストチャンスだ」
「なぜ検査は2回までなのですか」
「解凍した刺身と生の刺身だったらどちらがおいしいと思う?」
「それは、生です」
「それと一緒だよ。1年経つとひと冬越えるだろ。そうするとゴムは一度硬くなる。そうなれば品質が悪くなるんだよ」


「では、さっき坂田さんがおっしゃっていた期限切れの品物というのは、再検から6カ月が経過した品物で、今月はどうしても渡さなければいけない品物ということですね」
「そういうことだ。もちろん、今月渡される品物の中にも新しいものはある。ただし買い手、つまり現物を受ける方は、渡される荷物を選べないルールなんだ。だから期限切れの品物が多いと予想される月はなるべく受けたくないんだよ。3号(*6)の品質ギリギリの荷物をつかまされて、それをメーカーに持っていったら、これは品質に問題があるから買わないとか、値引きしろとか言われても困るだろ」

「受けるにしても、安く受けるということですね。だから坂田さんは今月の納会はもっと安いと考えた」
「ああ。だけどフタを開けてみてビックリってやつだよ」
「しかしこの納会と、シッパーが現受けしたうわさがどのように関係しているのでしょうか」
「仮にうわさが本当だったとしよう。シッパーだって東京で期限切れの品物を渡される可能性があることは十分理解している。にもかかわらず、そんな状況で現受けする理由はなにか。どうだ。わかるかい」
「難問ですね」
まず産地にいるシッパーは一度、相手が提示した価格に納得したから売った。その後、自分の売った品物の値段が下落しているのを知った。しかし、その品物は時間の経過とともにすでに品質が劣化している。だから高くは売れない。
「あっ。それでも先物市場の納会値段が今の産地価格に比べて大幅に安く、しかも品質についてもそれほど厳しいことを言わない納入先が確保できていれば…」
「そういうことだよ。きょう、東京とタイの逆ザヤは15円近くまで開いた。価格的には十分に安いことになる。あとはグリーンシートでいう3号なら問題ないっていうゴムメーカーがあればいい」
「品質にはあまりうるさくないところというと…。つまり経済成長が著しいあの国ということですか」
「そう。中国に持って行くのかも知れない。あくまで可能性の話だけれど、船さえ安く押さえられれば、全く現実味がない話じゃない。実際にこれまでにもそういう話はあった」

「これまでは、シッパーは現物を持っているから、東工取を使うといっても売りヘッジが目的でした。それが現受けもするとなると、状況が変わりますね」
「われわれの予想が間違っていなければ。ただ、今回のようにそう頻繁には産地とのサヤが急拡大することはないだろう。東京で現受けすることもまずはないと思うが、頭の隅には止めておいた方がいいかもな」

「違った形での産地勢参入ってことですね」
「そういうことになる」

(*6):天然ゴムの規格、RSS3号のこと。