2.納会


9.エネルギー編 解説

産業インフラとしての先物市場

商品先物市場は“投資市場”である一方で、“産業インフラ”という呼ばれ方もしています。
その理由は商品先物市場が上場商品の公正な価格形成を通して、産業界に先行価格としての指標性と価格変動リスクの回避機能を提供しているからです。
もちろん商品先物市場の産業界への貢献はそれだけにとどまりません。
商品先物市場は現物商品の有効な受け渡し市場としても機能しています。具体的なご利用方法のひとつの形態は、本稿「読めばなっとくリスクヘッジ〜実践編『エネルギー編』」でご紹介している通りです。

本編の主人公である渡辺は「ガソリンスタンドを幅広く経営する大西商事の需給課長」の肩書を持っています。もとは石油製品の仕入れやデリバリー(供給・配達)のシステム開発をしていたエンジニア(いま流行りのSE)ですが「実務に近いところで仕事をしたい」との希望から転職をはたしました。しかし現実には乱高下する仕入れ価格に頭を痛める毎日を送っています。
もうひとつの頭痛のタネはライバル店との1円を争う価格競争です。
近年の規制緩和に伴い登場してきたセルフスタンドは人件費を省くことで価格競争を有利に運びます。また「冬場の主力商品」である灯油では、やはり進出著しいホームセンターがライバルとして立ちはだかっています。


そうした中で、決して大手とはいえない大西商事――20キロリットルのタンクローリーを4台所有――のメリットとして生きてくるのが「どこの系列にも属さない」独立系の強みです。それゆえ業転市場(*)と先物市場をうまく使いわけて少しでも有利な仕入れ価格の実現に努めています。例えば2市場の価格動向をにらみながら、先物価格が業転市場に比べ一定以上割安になったら、先物市場から仕入れるというのがそのやり方です。そして、そこで渡辺を助けるのが社長・西の経験と、「石油現物の扱い量が大きく投機玉の実情にも詳しい老舗商品取引員・昭和フューチャーズ」の営業マン・斉藤の的確なアドバイスという構図になっています。
*業転市場:業者間転売市場の略。元売や商社が自社の需給を調整するために系列外で販売する市場。

利用者本位の先物市場

「読めばなっとくリスクヘッジ〜実践編」はフィクションです。しかし100%作り話かといえば決してそうではありません。モデルとなった独立系スタンドと商品取引員がいて取引市場があります。きちんとした取材に基づいて描かれているのです。
残念ながら約束があってモデルは明かせません。しかし大西商事のモデル企業が利用している市場は中部大阪商品取引所(www.c-com.or.jp)のガソリンと灯油市場であることはお伝えできます。本文中にも「1枚は10キロリットルに相当する」と書いてありましたから、お気づきの読者もいることでしょう。
日本で石油製品の先物取引市場の開設が認められているのは中部大阪商品取引所と東京工業品取引所(www.tocom.or.jp)だけです。それぞれの上場商品は、中部大阪取がガソリン・灯油・軽油の3油種。一方の東工取はガソリン・灯油・原油の3油種です。
本編で取り上げているガソリン・灯油についていえば、ふたつの取引所の最大の違いは1枚(最低の取引単位)当たりの取引量で、中部大阪取は10キロリットル、東工取はその5倍の50キロリットルと定められています。そしてこの違いは、それぞれのユーザーの使いやすさに直結しているのです。


たとえば「タンクローリーを4台所有」する大西商事は、「100キロリットル(2枚)単位で内航船渡し」がルールの東工取を利用するよりも、「10キロリットル単位でタンクローリー渡し」かつ場合によっては2キロリットルや4キロリットルの分割受け渡しも可能な中部大阪取のほうが、小回りが利いて便利なのでしょう。もちろん大手の元売や商社は逆の理由で東工取を選ぶかも知れません。

先物取引は保険を買うこと

ところで、大西商事は市場の分析と経験に基づいて、割安だと判断した場合には先物市場で仕入れをするとしています。安く仕入れて高く売ることはビジネスの基本です。その意味で先物市場をうまく利用している大西商事は、仕入れ価格のリスク管理をうまくこなしているようにみえます。
しかし先物市場を用いた本来的なリスク管理とは少々趣が違うようです。教科書が教えるリスク管理(これを“ヘッジ”または“ヘッジング”といいます)方法について解説しましょう。


ヘッジングの基本は現物市場と先物市場の両方の市場で取引して、片方の損失を他方の利益で相殺することです。現物市場で利益が出れば先物市場の損失を相殺し、先物市場で利益が出ればそれで現物市場における損を相殺する――。なんだ、それじゃあ結局儲からないじゃないかと思われる方もいらっしゃることでしょう。しかしそれで良いのです。
自動車保険を思い出してみてください。例えばドアの損傷に対して保険金が下りたとしましょう。その額はドアのダメージを回復するのに等しい額であることが前提です。保険金は損失を原状回復させるためのもので、利益を生み出すものではありません。
先物市場もそれと同じです。このためヘッジングは“保険つなぎ”といわれることがあります。利用者が商品取引員に支払う手数料は、保険料と同じ性質を持つ、サービスの対価にほかなりません。
教科書が教えるヘッジングに戻ります。基本的なヘッジングには、仕入れを前提として将来の値上がりに備える保険の「買いヘッジ」と、将来の売却時の値下がりに備える保険の「売りヘッジ」の2パターンがあることを、まず覚えてください。

買いヘッジの例

ガソリンの貯蔵用に500キロリットルの地下タンクを持っている大西商事は、6ヶ月後に100キロリットルのガソリンを購入しようと考えています。価格の上下動はいまも激しいままですが、現時点の価格=1キロリットルのあたり7万5,000円ならば利益が確保できるように販売計画(平均売却価格1キロリットルのあたり9万円=仕入れ値の2割増し)を建てたとしましょう。
もし6ヶ月後に購入価格が上昇してしまえば採算は確保できません。しかし逆に6ヶ月後に購入価格が安くなっていれば、予想以上の利益を得られることになります。
需給課長の渡辺に与えられた選択肢は2つです。

(1)保険をかけずに6ヶ月後の仕入れ価格でビジネスする。その場合、仕入れ値が事前の予想より下がっていればそれだけ増益になる。
(2)仕入れ値が安くなった場合の増益チャンスは逃すことになるが、損を被ることは回避する。


予想を上回る利益は得られないとしても会社に損をさせることはできないと判断した渡辺は(2)を選択しました。その場合のシミュレーションは次の通りです。前提として先物価格と現物価格は連動する、すなわち先物市場の納会日の最終値段(=現物を受け取る場合の価格)と現物のスポット価格は等しくなることとします。

まず渡辺が建てた販売計画通りにビジネスが進行した場合の収支は次の通りになります。

【仕入価格】=75,000円×100(キロリットル)=750万円
【販売価格】=90,000円×100(キロリットル)=950万円
【収益予想】=950万−750万円=200万円

では渡辺は6ヶ月後の(月限の)ガソリン先物を10枚買ったとして話をすすめましょう。中部大阪取のガソリン先物は1枚が10キロリットルですから合計で100キロリットルになります。
さて、6ヶ月後にガソリン相場が上昇して8万円になってしまったらどうでしょうか。
まず先物取引によって生じる損益を計算してみましょう。
(80,000円−75,000円)×10(キロリットル)×10枚=50万円(の利益)

一方、現物の購入コストは次のようになり、当然、当初の予定を上回ってしまいます。

80,000円×100(キロリットル)=800万円

しかし先物取引で50万円の利益を得ているので、実質的な購入コストは(800万円−50万円=750万円)となり、現物取引での損失分がカバーされていることがわかります。
では逆にガソリン相場が6万9,000円に値下がりしたとしたらどうでしょう。先物取引での損失は次のように計算できます。
(69,000円−75,000円)×10(キロリットル)×10枚=−60万円(の損)

一方で現物の購入コストは次のように計算されます。
69,000円×100(キロリットル)=690万円

つまり、当初想定した仕入れ価格よりも(750万円−690万円=60万円)安く仕入れられたことになります。本来ならば喜ぶべきところでしょう。ところが先物取引の損失が60万円出ていますのでそれが相殺されてしまいます。結局、計算上の仕入れコストは次のようになります。
690万円+(損失分の)60万円=750万円

ここで重要なのは、現物相場が変動しても750万円という当初の仕入れコストは維持されていることです。このため大西商事は仕入れコストの変動に悩まされずに、当初の想定通りに事業計画を達成できるのです。


ところで、こうした先物市場での売買は、大西商事にとって、あたかも保険のように機能していることにお気づきになったでしょうか。儲けはでないけれども、万一のときには損失をカバーしてくれるというわけです。先物取引が「保険つなぎ」といわれるのはこのためなのです。また、それだからこそ先物取引は産業にとっての「インフラ」のひとつに数えられるのです。

なお上記の計算では、話を単純化するために、大西商事が本来ならば昭和フューチャーズに支払うべき売買委託手数料と受け渡しに関する諸掛りを除外して計算しております。

その他のヘッジ

商品先物市場を使ったヘッジングには、買いヘッジとは逆の操作をして、売却価格をあらかじめ固定させる「売りヘッジ」という方法もあります。例えば、海外から原油を日本に輸入する商社を思い浮かべてみてください。タンカーを借り受けて原油を日本まで運び、その後、契約相手に現物を渡すというのが一連の仕事です。
日本が輸入している原油は、その8割がサウジアラビアをはじめとする中東の産油国から運ばれてきます。典型的な石油タンカーが積載する原油の量はおよそ37万1,200キロリットル。ペルシャ湾、インド洋、マラッカ海峡、東シナ海を経て日本までの距離は約1万2,000Km。片道20〜25日程度をかけての長旅です。
さて、原油を買いつけから日本に届けるまでのその25日間に、原油価格が下落してしまったとしたらどうでしょうか。例えば1キロリットルあたり2,000円の下落は単純計算で7億4,200万円の損失につながります。もちろん逆の可能性もあるでしょう。だからといって損失の可能性を放置しておくことはできません。そこで通常のオペレーションとしては、原油をタンカーに積載した時点で、先物を売ること(保険つなぎ)が求められるというわけです。


もうひとつの売りヘッジの例

「地上500キロリットル、地下500キロリットルの2つのタンクを持つ」(本文より)大西商事は卸の仕事もしています。今度は灯油を例にとり説明します。
灯油価格の推移を一年間通して見ると、一般的に、夏に安く、冬にかけて高くなる傾向がわかります。これは寒くなるほど燃料としての灯油の需要が増えるためです。
ある年の夏のことです。需給課長の渡辺は、灯油価格が例年に比べて上昇圧力を抑えられていると感じていました。それは円高のせいかも知れませんし、在庫が過多になっていたのかも知れません。業界新聞を読んだり、関係者と話をしたりしていると、それらしい理由はなんとなく耳に入ってきます。残念ながら渡辺には原因を特定できません。それでも現実のこととして、気がついた時には、灯油価格はここ数年でも最低の価格水準となっていたのです。一方で大西商事が契約している天候情報サービス会社は、長期予報で、東海地方の今年の冬の早い訪れを伝えています。
そこで渡辺は西社長と相談のうえ、7月のいま、300キロリットルの灯油を仕入れておくことにしました。1キロリットルの価格は6万円でした。仕入れ価格を計算してみましょう。
【仕入価格】=60,000円×300キロリットル=1,800万円


もちろん長期予報通りに例年よりも寒い日が早く来てくれれば問題ありません。しかし、仮に長期予報が外れてしまったらどうでしょう。あるいは仮に予報が当たったとしても、別の何らかの理由で、灯油相場がいまより下がってしまう可能性もあります。もちろんマージンは見込んであります。しかしそれ以上に値下がりして利益が出なくなることはもちろん、仕入れた灯油の在庫をだぶつかせることも、大西商事にとっては困りものです。

そこで渡辺が目をつけたのが先物市場の価格です。仕入れから1カ月、8月の現時点では11月限(11月渡し物)の値段は購入時よりも4,000円高い6万4,000円になっています。ちなみに先物市場では、8月よりも9月、9月よりも10月といったように、将来にいくにしたがって価格が高くなる状態を「順ザヤ」と呼んでいます。これは市場にとっては「ノーマル」な状態で、先物には倉庫料や保険料が加算されるために必然的は高くなるのです。逆の状態は「逆ザヤ」と呼びますが、このときは現物在庫のひっぱくが推定されます。
さてこのときの渡辺の脳裏には、いまの先物市場の価格で11月に現物を渡す約束をしておけば、1キロリットルあたり4,000円の利益(粗利)が得られるとの皮算用が働いたことでしょう。
【収益予想】=(64,000−60,000)×300キロリットル=120万円

いま、先物市場で売り契約を結ぶことには次のようなメリットがあります。
仮に暖冬が来て灯油価格が下がったとしても――
(1)120万円の利益は保証されている
(2)すでに買い手がついているから在庫のだぶつきを心配する必要はない
(3)8月の現時点で確約された収益に則って、以降の経営計画を策定できる

もちろんいいことばかりではありません。予想以上に厳しい冬が来て灯油の需要が急拡大し、灯油価格が1キロリットルあたり6万5,000円あるいは6万6,000円になったとしても――売る約束の価格は6万4,000円ですから、それ以上の利益は望めません。

さて、どうするかは経営判断に委ねられます。一定の収入を約束し、過剰な経営リスクを回避するためのツール。それが経済インフラとしての先物取引の機能なのです。